◇今も残る小屋、懐かしい 氷に圧迫され船の甲板膨らむ、自然の力に驚き−−佐伯宗弘さん(81) 昭和基地開設で日本の南極観測がスタートして、今年で50年。 第1次観測隊員として初めて極寒の地にとどまり、その後の観測体制の基礎を作った人々の中には、富山県・立山山ろくで四季を通じ野山を駆け回ってきた5人の立山ガイドもいた。 その1人、佐伯宗弘さん(81)=立山町芦峅寺(あしくらじ)=に、当時の思い出などを聞いた。 【柳沢和寿】 ――南極に着き、まず苦労したのは? 佐伯さん 昭和基地の位置(オングル島)を偵察で決めたが、氷の状態が悪くて近くに「宗谷」(初代南極観測船)が接岸できなかった。 そのため37キロの距離を、雪上車で荷物運びすることになり、何十回と積み降ろしした。 建物(現代のプレハブ建築の原型)自体は、行く前に立山や東京で何度も組み立て訓練をしていたので、簡単に出来た。 ――南極の風景で印象に残ったのは? 佐伯さん オーロラはよく見た。 昭和基地は最高の観測場所。 みんな「きれいだ」と言っていたが、私は音もせず色が変わる姿が気持ち悪くて。 それと、太陽が1日中沈まず地平線上を回るのを初めて見た。 動物ではペンギンに驚いた。 基地の近くに何万羽もいて。 ――基地から離れて周囲を探検したりも? 佐伯さん そう。 私らの役目は基地での留守番だったけれど、隊長が「いっぺん遊びに行くか」と言ってくれた。 10キロ以上歩いて、島との間の海を越え大陸にも渡った。 でも一面氷だったので、どこが海で大陸か分からなかったが。 ――越冬隊を残し南極から帰る途中、船が氷に閉じ込められたと? 佐伯さん その時はひどかった。 宗谷の平らなはずのヘリコプターの飛行甲板が膨らむほど、氷で圧迫されていた。 ものすごい自然の力を感じ、これは危ないと。 でも、「オビ号」(旧ソ連の砕氷船)が救援に来た時は、本当にうれしかった。 これで帰れるなと。 宗谷も、当時はそれほど小さな船だと思わなかったが、だいぶ後で見た時、「こんなのでよう行ったもんだ」と感心した。 ――南極付近の海の状況は? 佐伯さん 暴風圏になる。 行きも帰りも台風みたいな天気で船が揺れ、部屋の2段ベッドも飛び跳ねていた。 それこそ生きた心地がしない。 船酔いで寝たきりだったのも、医者を含め何人いたか分からんくらい。 でも南極近くでは静かになり、巨大な氷山に驚いた。 ――半世紀を経た日本の南極観測ですが、当時ここまで続くとは? 佐伯さん いや、2年ほどで終わると思っていた。 うれしいことに、私らが基地に建てた小屋の一つが、まだ使われている。 3年前、西堀栄三郎さん(初代越冬隊長)の記念館(滋賀県)に招かれた時、テレビ電話で当時の南極の隊長とやり取りしたんだが、「これです」とカメラを向け(小屋を)見せてくれた。 今は集会所に使われてるそうだが、本当に懐かしかった。 ――皆さんが培った立山ガイドの経験や技術は、南極でも役立ったのでは? 佐伯さん 特にそういうことはなかった。 私らがいた時は天気も良かったし。 でも、最初のうちテントで過ごした時は、周りから「よく怖くないな」と言われたものだ。 私らは、厳冬期の立山の遭難救助に向かった時は吹雪に遭ったし、積雪も3メートルはある中を歩いた経験もあった。 南極では雪上車も使えたし、今は隊員は、ケープタウン(南アフリカ)から飛行機で行くそうなので、昔の苦労はもうないと思う。 ――立山周辺では今も遭難者が絶えませんが、最も注意すべき点は? 佐伯さん 天候の変化に一番気をつけること。 いったん大きく変われば命にかかわりかねないことを忘れてはいけない。 ■こんな人 「登山技術もガイドとしても超一流。 私にはあこがれで、大きな目標だった」と、長男和起(かずゆき)さん(54)は、宗弘さんへの思いを語る。 かつて父も経営した剱御前小舎のオーナーを78年から務める“山男 だ。 父子が家族と住む自宅の客室には、和起さん自作の「宗谷」の模型が誇らしげに飾られている。 「オヤジにとって一番の思い出の船を、南極観測記念に」と、当時の設計図を集め克明に再現。 約3年かけ完成させた模型に、宗弘さんは「よく似とるなあ」と笑みを浮かべたという。 南極への思いや立山ガイドとしての技術、知識、誇りは、脈々と受け継がれている。 ……………………………………………………………………………………………………… ■人物略歴 ◇さえき・むねひろ 大正・昭和初期に活躍した立山ガイド・故佐伯宗作さんの長男として1925年9月14日、現在の富山県立山町芦峅寺に生まれる。 戦後、本格的に立山ガイドの仕事に就き、多くの山岳遭難者の捜索や救助にも協力。 第1次南極観測隊には「芦峅寺5人衆」と呼ばれた立山ガイド5人の1人として参加、昭和基地建設などに当たった。 帰国後、59年には日本山脈縦走隊に加わり、八甲田山~富士山を踏破。 地元では立山、剱岳などの登山拠点・剱御前小舎の経営などに携わった。 現・立山ガイド協会長。 3月11日朝刊