◇「排水路みたいや」/国側「総じて問題ない」 長良川は木曽川、揖斐川とともに濃尾平野に豊かな恵みをもたらす一方で、昔から流域の人々を洪水で悩ませ続けてきた。 長良川河口堰(ぜき)も「暴れ川」の治水が建設目的の一つだった。 だが、95年の本格運用後はアユの漁獲量が激減するなど、自然環境への大きな影響がうかがわれる。 水資源機構(旧水資源開発公団)は「総じて問題ない」との見解だが、実態はどうなのか。 【加藤潔、樋岡徹也】 ◆環境 「昔の長良川ではのうなってしもうた。 水を流すだけの排水路みたいや」。 岐阜県羽島市の漁師、大橋亮一さん(72)が川面を見つめ、つぶやいた。 河口から約38キロ上流の自宅付近の川は、河口堰の本格運用後、「流れが緩やかになり、湖のようだ」という。 浅瀬や中州がなくなり、慣れ親しんだ風景は一変した。 風景だけではない。 清流の長良川産として高値で取引されたアユやサツキマスの漁獲が、大幅に減った。 大橋さんは「堰完成前はアユは毎年1トン以上採れたのに」と話す。 同県水産課の統計では、06年の長良川のアユ漁獲量は187・6トンで、最近のピークだった92年(1029・1トン)の約18%。 サツキマスも1・2トンで、93年(21・6トン)の約6%に落ち込んでいる=グラフ参照。 しかし、同県全体のアユ漁獲量も06年は461・2トンで、92年(1725・5トン)の約27%まで減っており、同課は「河口堰だけの影響とは言えない」と話す。 河口堰による環境影響について、水資源機構と国土交通省中部地方整備局は「問題ない」という見解で一貫している。 旧建設省は河口堰の構想発表後の63年から、専門家による木曽三川河口資源調査を実施。 建設中の91年には異例の追加調査を行い、「対策を取れば環境に問題はない」とした。 機構などは、堰完成後も環境調査を続けている。 堰両岸の魚道のうち、左岸を遡上(そじょう)するアユの数は95年の約4万8000匹から99年に約95万6000匹に増え、07年は約78万6000匹。 一方、河口の上流38キロ付近で採れたサツキマスは94年の895匹から増減を繰り返し、04年は101匹だった。 堰上流部の川の水に含まれる酸素や窒素、リンの量は、堰の運用前後で大きな変化はなかったという。 さらに、河口堰付近から上流約30キロまでの河岸の植物を調べたところ、水量が増えた上流部で、ヨシやオギ、マメ科のクズなどの分布が変化していた。 機構などは、こうした調査結果を専門家による「長良川河口堰モニタリング委員会」(95~99年度)と「中部地方ダム等管理フォローアップ委員会・堰部会」(00~04年度)に報告。 両委員会は「堰運用後の環境変化はおおむね安定し、総じて問題ない」などと結論付けている。 この見解に、古屋康則・岐阜大准教授(魚類生理生態学)は反論する。 古屋准教授らのグループは06年4~11月、河口堰上流部でほぼ同じ時間帯に地引き網で捕獲する方法で、長良川と揖斐川の魚類を調べた。 結果は長良川の16種1501匹に対し、揖斐川は22種2992匹。 海水と淡水が交わる汽水域の魚は揖斐川でシラウオなど11種を確認したが、長良川ではボラなど4種だけだった。 古屋准教授は「長良川で汽水域が失われた証し。 豊かだった生態系が変わった」と指摘する。 一方、河口堰建設に反対してきた日本自然保護協会は、運用後10年間の観測結果に新たな調査結果を加え、河口堰が周辺の自然環境と社会生活に与えた影響をまとめた報告書を今年度中に公表する。 同協会理事の村上哲生・名古屋女子大教授(陸水学)は、その影響の大きさを示唆したうえで、「環境への悪影響を避けるには、堰の開放やゲート運用の大幅な見直しが必要」と話している。 ◆治水 ◇豪雨でも水位2メートル低く、塩害防止に不必要の声も 水資源機構が河口堰建設の目的の筆頭に掲げる治水の実績としているのは、04年10月20日の`23|の上陸時だ。 東海地方で総雨量300ミリ以上を記録し、長良川上流の岐阜県山間部も記録的豪雨に見舞われた。 翌21日には、河口から約39キロ上流の同県墨俣地区の流量が観測史上最大の毎秒約8000トンに達した。 だが、長良川は河口堰運用後に河口部の川底を掘って流量を約1100トン増やすしゅんせつを行ったため、1970年当時と比べると水位を約2メートルも低くできたという。 しゅんせつの影響として心配されたのが塩害だった。 河口から約30キロ上流まで海水が浸入し、工業用水や農業用水が取れなくなるという予測で、岐阜県海津市の約1600ヘクタールは地下水が塩水化する恐れも指摘された。 機構などは、この塩害を防ぐために河口堰が不可欠と主張してきた。 堰の運用後、心配されたような塩害は報告されていない。 だが、隣接する揖斐川でも上流部に海水が浸入しながら周辺地域には塩害がないことなどから、「河口堰がなくても塩害は広がらない」「ほかにも効果的な防止策はある」など、河口堰の必要性を疑問視する研究者らの声は今も根強い。 通常は川の水をせき止めている河口堰だが、洪水などで流量が毎秒800トンを超えると、10基あるゲートを全開して水を河口に流す。 運用開始後、昨年9月までの全開は計82回。 04年の16回が最多で、最少は01年の2回だった。 このほかに川底の水の酸素量が規定値(1リットル当たり6ミリグラム)を下回った場合なども、ゲートを動かして放水量を増やす。 水温が高い夏場が多く、06年には計96回実施したという。 ◆反対運動 ◇運用開始後下火に−−反対する会今年20周年、「運動続けていく」 公共事業か環境保護か。 長良川河口堰は1988年3月の本体着工後、その是非を巡って全国的に注目された。 この時の反対運動の中心は地元ではなく、外部の人たちだった。 大阪在住のアウトドアライター、天野礼子さん(54)が中心になり、88年6月に「長良川河口堰建設に反対する会」を設立。 本流にダムのない長良川の価値を認めた作家・開高健さん(故人)が「日本は大国と言いたいなら、川の1本や2本手つかずで残さんか」と賛同して会長を引き受けた。 作家のc・w・ニコルさんや立松和平さん、ジャーナリストの筑紫哲也さんらも協力し、環境保護の立場から建設反対を主張した。 与野党の国会議員も巻き込み、東京でもデモや陳情を展開。 92年10月には堰建設現場近くの川に約1000のカヌーを集め、参加者が工事中止を訴えて気勢を上げた。 その様子はメディアで取り上げられ、河口堰問題は広く関心を集めた。 建設省も世論の高まりを無視できず、95年3~4月に、推進、反対両派が議論する円卓会議を8回開催。 結局、建設は止められなかったが、天野さんは「マンモスのような巨大組織と思っていた建設省を(円卓会議や市民との直接交渉に)引きずり出し、ひざを折らせたのは一つの勝利」と振り返り、河口堰の現状を「建設省などは必要があるように装って建設したが、環境の悪化は明らか」と話す。 河口堰の運用開始後、反対運動は下火になった。 地元でも関係者の高齢化が進み、建設差し止め訴訟原告団をリードした岐阜市の村瀬惣一さんが05年に死去。 昨年11月には環境保護の立場から発言していた西條八束(やつか)・名古屋大名誉教授も亡くなった。 今年は「長良川河口堰建設に反対する会」設立から20周年。 天野さんは「長良川はゲートを上げない限り死んでしまう。 血税が使われているのだから、もっと本気で怒らないと。 運動は続けていきます」と話した。 ……………………………………………………………………………………………………… 次回の「追跡」は3月2日に掲載します。 ……………………………………………………………………………………………………… ◇長良川河口堰をめぐる環境保護の主な動き◇1963年12月 国が木曽三川河口資源調査(kst調査)開始 71年12月 建設着手 88年 2月 流域全漁協が着工同意 3月 堰本体工事着手 6月 「長良川河口堰建設に反対する会」発足 90年 9月 日本自然保護協会が「長良川河口堰事業の問題点・中間報告」発表 12月 北川石松環境庁長官(当時)が「環境影響の追加調査必要」との見解表明 91年 6月 国と水資源開発公団(当時)が追加調査開始。 翌年3月、報告書公表 92年10月 「長良川河口堰建設に反対する会」が建設現場で大規模抗議行動 95年 3月 建設完了 国が推進、反対両派による円卓会議を設置。 4月まで8回開催 7月 全ゲート操作開始(運用開始)。 国と公団が長良川河口堰モニタリング委員会発足2000年 7月 日本自然保護協会がゲート開放案など盛り込む提言 11月 モニタリング委が前身の中部地方ダム等管理フォローアップ委員会・堰部会発足 05年 3月 堰部会が定期報告、解散2月10日朝刊