◇賛否分かれる住民 群馬県長野原町の八ッ場ダムは建設中止か推進かが決まらないでいる。 八ッ場ダム計画の発端となったのは62年前のカスリーン台風だった。 県内では大利根町の利根川と北川辺町の渡良瀬川で堤防が決壊し、86人の死者・行方不明者が出た。 付近の住民は八ッ場ダムを巡る議論をどう見ているのか。 現地を歩いた。 【山崎征克、31歳】 当時の被害を知る人に話を聞きたくて、大利根町の利根川右岸に農業、恩田勝司さん(73)を訪ねた。 「ダムはあった方がいいと思う」。 堤防の上に建つ犠牲者の慰霊碑を見つめながら、恩田さんはつぶやいた。 1947年9月16日未明、堤防が決壊した。 恩田さんの家はそこから約500メートル離れていた。 「ゴォー、ゴォーってものすごい音だったよ」。 暗闇の中、隣家に避難したものの瞬く間に増水した。 屋根から水害に備えてあった木舟に乗り移って逃げたが、長兄(当時22歳)と妹(同6カ月)は約3カ月後、4キロ下流で遺体で見つかったという。 今は幅が100メートル以上あって決壊の恐れのない「スーパー堤防」が整備されている。 洪水対策としてはダムが必要なのか。 恩田さんに疑問をぶつけてみた。 「堤防はだいぶ良くなったけれど、大きな台風はいつ来てもおかしくない。 上流でダムが水を止めてくれるなら安心だ」 恩田さんの家の庭には小さな碑がある。 長兄と妹の慰霊のために父親が建てた。 「おやじたちが(台風の後に)がれきを片付けて家を建て、ここまでやってきた。 二度と水害を起こしちゃだめだ」。 今でも大雨の日には川の水量を見に行くという。 碑をなでながら語る恩田さんの後ろ姿に、川とともに暮らしてきたこの地域の歴史を垣間見た。 古くから水害が絶えない同町周辺では、「水塚(みつか)」と呼ばれる避難用の蔵を残す家も多い。 同町琴寄の小林昭子さん(81)が自宅の母屋裏に残る水塚を案内してくれた。 そこだけ高さ約3メートル盛り土され、白い蔵が2棟建つ。 外壁ははがれ、一部の瓦は崩れている。 中に入ってみた。 暗がりに、みそや米を入れたという大きなたるが転がっているのが見える。 壁際に避難用の木舟2艘(そう)があった。 まだ使えそうだ。 小林さんの家族が舟を大切にしていたことがうかがえた。 でも小林さんはダム建設に反対という。 「堤防は高く頑丈になって、この60年何も起きていない。 ダムのお金は環境や教育に回すべきだと思うから」と言った。 □ □ 大利根町で15人に話を聞いてみた。 「ダムがあれば安心」が7人。 8人は「堤防が強化されたので必要ない」だった。 県によると、埼玉を流れる利根川は全長約46キロ。 そのうち、スーパー堤防が築かれているのは計1・6キロだけだ。 そのことを尋ねると、「不要」と言う人でも「他の地域のことを考えれば、どっちがいいのか分からないな」と歯切れが悪くなる。 □ □ 利根川のスーパー堤防に立ってみた。 流れる水は見えないほど遠く、氾濫(はんらん)する姿を想像するのは難しい。 しかし大雨が降れば河川敷はたちまち水没し、その光景にお年寄りたちは62年前の悪夢を思い出す。 民主党は「危険性を言えばきりがない。 財政の優先順位をどうつけるかだ」という。 私はそれに賛成するが、ダム建設に反対かと問われれば、明確に答えられない。 12月15日朝刊 【関連ニュース】