◇鎮魂の調べ、壮大に 佐渡裕さん「レクイエム」−−芸文センター管弦楽団定演 震災復興のシンボルとして05年10月に開館した西宮市の県立芸術文化センターで、初めて1月17日に合わせた形での兵庫芸術文化センター管弦楽団の定期演奏会があった。 発生時刻の12時間後にあたる午後5時46分に黙とうをささげてから開演し、ベルディの「レクイエム(鎮魂曲)」を壮大に歌い上げた。 指揮者で、同センター芸術監督の佐渡裕さんはこの日、早朝から県主催の追悼式典や神戸市長田区の中高生らとのコンサートに参加。 疲れも見せず、力強く指揮した。 演奏の模様は県公館(神戸市中央区)に中継され、一般公募で集まった約500人も演奏を聴いた。 震災で父親を亡くした同市兵庫区の大谷のり子さん(69)はこの日、東遊園地(同市中央区)で開かれた「1・17のつどい」に参加し、人と防災未来センターに立ち寄ってから来場。 「今日は追悼の思いで過ごした。 1日の締めくくりとして、震災当時のことを思い出しながら演奏を聴きたい」と話していた。 【津久井達】 ◇死に直面、育つ命いとおしく−−`195915|と大震災被災、芦屋の大橋さん ◇全壊自宅跡地、家庭菜園に喜び 芦屋市陽光町に住む大橋みつ子さん(72)は、1959年にあった`195915|と、95年の阪神大震災の両方で被災し、辛くも助かった経験をもつ。 「自分の命はいただいたもの」と話す大橋さんは、17日の朝を黙とうで静かに迎えた。 大橋さんは三重県桑名市長島町出身。 夫の成三さん(74)とは見合いで知り合った。 結婚式が迫った59年9月26日夜、`195915|に見舞われた。 高潮で堤防が崩れ、長良川に面していた大橋さんの実家は水浸しに。 家族は2階に避難して無事だったが、多くの友人を亡くした。 神戸市の貿易商社に勤めていた成三さんは、電車や船を乗り継いで駆けつけたという。 台風の翌月、成三さんと神戸市内で結婚式を挙げた。 結婚後は、芦屋市で生活。 2人の子どもも就職して落ち着いたころに襲ってきたのが、阪神大震災だった。 同市春日町の自宅が全壊し、自身も下敷きになった。 成三さんに助け出され、伊丹市内の長男宅に避難。 3年後、芦屋市に戻って復興住宅に住んだ。 高齢のため、自宅跡地に家を再建する気も起きず、始めたのが家庭菜園で、今の生きがいだ。 土の中から出てくるガラスやコンクリート片を取り除き、野菜ができたのはようやく3、4年目から。 大根、ネギ、菊の花などさまざまな野菜や花を植える。 小さな種から芽が出て、成長していく姿に喜びを感じる。 「`195915|でも震災でも死を覚悟した。 友人も亡くなった」という大橋さん。 だからこそ新しく育っていく命がいとしい。 孫3人のうち2人は震災後生まれ。 「あの日」を伝え残そうと、写真を見せながら、当時のことを言い聞かせているのだという。 【小坂剛志】 ◇メモリアルウォーク、6コースに6000人 ◇それぞれ思いかみしめ−−記者も歩いた 震災の朝、被災地を歩く「1・17ひょうごメモリアルウォーク」が今年も開かれ、県内に設定された六つのコースで計約6000人が歩いた。 私は西宮市役所からゴール地点の「hat神戸」を目指す約15キロのコースに参加した。 コースは主に国道2号を西に向かう。 好天に恵まれたが、歩いてみると小さな坂が多いことに気付く。 神戸市東灘区に設けられた休憩所で会った尼崎市の主婦、長江町子さん(66)は友人に勧められ、震災翌年から参加しているという。 「自分の足で歩くと、どの土地に被害が大きかったかわかる。 町はきれいになったけど、芦屋あたりはまだ空き地がちらほら見える」と話した。 道中では、ファミリーレストランの従業員が温かいお茶を振る舞うなど、心づくしの応援も。 西宮市の会社員、梅宮保彰さん(51)は、聴覚障害のため震災当時は情報収集に不安も感じたという。 しかし「ボランティアの人たちや家族の支えがあったおかげで、つらい時も乗り越えられた」と振り返っていた。 ゴール地点のhat神戸には屋台も出て、にぎやかな雰囲気。 地震と同じ揺れを体験できるコーナーもあり、震災イベントだということを再確認させられる。 宍粟市から参加した介護職、津村幸代さん(48)は「1・17は息子の誕生日でもある。 家族が無事でいてよかったと、毎年心から感じる機会だ」と話していた。 【加藤美穂子】 ◆芦屋 ◇追悼受け継いで 芦屋市の芦屋公園に記帳所や献花台が設けられ、夕刻までに約1500人が犠牲者の冥福を祈った。 市消防団精道分団の副分団長を務める大原弘一さん(57)は震災で母町子さん(当時65歳)を亡くしたといい、消防団の仲間10人と献花した。 「消防団でありながら母を助けられなかった。 それが無念で仕方がない」と言葉を詰まらせた。 毎年、公園を訪れるという同市浜町の男性(72)は「近所の亡くなった人たちを助けてあげられなかった。 そのことを思うとじっとしてはいられない」と話し、「風化は進んでいるかもしれないが、自分たちがこの世からいなくなっても追悼の気持ちを次の世代に受け継いでほしい」と涙をぬぐった。 【中里顕】 ◇悲しみ消えない 芦屋市津知町の津知公園では「絆(きずな)」と刻まれた慰霊碑の前で遺族や住民らが犠牲者の冥福を祈った。 震災まで近くで夫と喫茶店を経営していたという赤尾静子さん(72)は「亡くなった常連さんの笑顔を今も覚えている。 15年たって分かったのは、どんなに時間が過ぎても悲しみは消えないということです」と涙ぐんだ。 震災当時精道小4年で、級友3人を失ったという同市のアルバイト、坂上梓さん(24)は「友達が死んだということを信じられず、なかなか現実だと思えなかった」と振り返る。 「中学、高校と一緒に進めなかったけど、震災まで一緒に過ごした時間を大切にし、これからも忘れたくない」と手を合わせていた。 【山田奈緒】 ◆西宮 ◇同僚の名さする 犠牲者1086人の名が慰霊碑に刻まれている西宮市奥畑の「西宮震災記念碑公園」では地震発生時刻の午前5時46分、約300人が黙とう。 夕刻までに約2600人が記帳した。 当時市内の幼稚園に勤務していた同市石刎町の主婦、大久保恭子さん(39)は同僚だった福田朋子さん(当時22歳)の名前を何度もさすった。 「たった一人の同期。 年下だったけどしっかり者で、よく相談していた……」と言葉を詰まらせた。 同居していた母(当時70歳)を亡くしたという同市大畑町の会社員、岡邦彦さん(64)は「母の火葬場を探すのが大変だったことを思い出す。 母と家を奪ったあの震災は今でも忘れられません」と祈りをささげていた。 【衛藤達生、広沢まゆみ】 ◇しっかり生きる 西宮市上大市5の上大市公園では地元で知的障害者福祉施設を運営する「すばる福祉会」が、ろうそく約1600本をともして犠牲者の冥福を祈った。 公園では震災当時、同福祉会による炊き出しが実施されていた。 集まった近隣住民らは午前5時46分にあわせてろうそくに火をともし、黙とうをささげた。 参加した宝塚市の障害者就労支援施設職員、川田祐一さん(37)は「生きていることに感謝しながら、亡くなった人の分までしっかり生きたい」と話した。 【中里顕】 ◆宝塚 ◇初の本格的行事 宝塚市は、市として初めての本格的な震災追悼行事「宝塚・語りつぐ震災」を宝塚npoセンターとの共催で開いた。 末広中央公園には市内の犠牲者118人と同じ数の灯ろうに火がともされ、地震発生時間の午前5時46分に約200人の市民らが黙とうした。 市役所であった午後のシンポジウムでは、防災コンサルタントの木村拓郎さんが基調講演。 震災遺族や昨年の`9|による佐用町の被災者も参加して行われたパネルディスカッション=写真=では「被災して人の優しさに触れた」「災害はいつか来ると覚悟し、普段から家族や地域と備えておくことが大事」などの意見が出ていた。 【山田奈緒】 ◇ハイチ救援に5万円を寄託−−尼崎・商店街組合 尼崎市の阪神尼崎駅前にある尼崎中央3丁目商店街振興組合は、毎日新聞社と毎日新聞社会事業団が受け付けている「ハイチ大地震救援金」に5万円を寄託することを決めた。 阪神大震災を経験した立場から、海外の被災者を支援しようと、商店主の有志らで集めた。 同振興組合の葭川(よしかわ)修一理事長(59)は「私たちだけではなく、多くの企業や人に募金が広がってほしい」と話していた。 【中里顕】 〔阪神版〕 1月18日朝刊 【関連ニュース】