◇川魚の養殖場経営を夢に−−長野の渡辺さん 左脚のふくらはぎに残る一筋の傷跡を見るたびに、のどかだった幼き日々を思い出す。 長野市三輪の自営業、渡辺博通さん(62)の古里・岐阜県旧徳山村(現揖斐川町)はダムの底に沈んだ。 08年に完成した徳山ダムは「東海地方の水がめ」になるはずだった。 だが、政権交代後の昨秋、国は、愛知県や名古屋市の取水口がある木曽川などに水を送る「導水路」の建設を凍結した。 水需要の予測が大き過ぎたという。 河村たかし・同市長は「名古屋は水余り」と言った。 古里を奪ったダムとは一体、何だったのか。 ◇ ◇ 山河のはざまに約80世帯がひしめいた徳山村本郷地区の農家で、5人きょうだいの末っ子に生まれた。 地区は山々に隔てられた「陸の孤島」。 住民は“大きな家族 のように支え合って生きた。 雪に閉ざされる冬、村の若者はしょいこを背負って「歩荷(ぼっか)」となり、地区全体の買い出しに町へ出かけた。 小学生のころ、兄のオートバイを走らせたが、駐在所の警官は「気を付けろよ」と見逃してくれた。 地区を焼き尽くした大火では自宅そっちのけで友人宅の荷物を必死に運び出した。 皆が皆を助け、犠牲者は一人も出なかったという。 家にほとんど現金収入はないが、使う機会もない。 戸に鍵もなく、夜8時に村中の明かりが落ちた。 `195915|(1959年9月)で、おおらかな暮らしにダムが割り込んでくる。 わんぱく盛りの11歳は、台風で土砂が流れ込んだ家を見に行こうと走り、消防団員のトビに脚を引っかけた。 「親父にしかられる」。 隠した傷が化膿(かのう)、跡が残った。 村の発電所も押し流した台風を機に、村民の間にダム建設の機運が高まっていった。 高校進学で村を離れ、名古屋でサラリーマンになった。 時代は高度成長の真っただ中。 村育ちの、のんびり屋は「モーレツ社員」にはなれなかった。 村に帰省しては、子供のようにイワナやアマゴを釣って気を紛らわせた。 東京や大阪への転勤話を機に「都会暮らしは合わない」と会社を退職。 当時の赴任先だった長野市に居着いた。 ◇ ◇ 故郷の村はダム建設で87年に廃村した。 補償金を手に都会へ出た村人もいたが、じきにバブル経済がはじけた。 「あの人は金を巻き上げられた」「首をつった」。 人づてにいろんな話を聞いた。 自宅マンションのパソコン画面にはダム湖の写真を飾る。 それほど古里が恋しい。 先日、居間の戸棚から1冊の古びたアルバムが出てきた。 かつての村の暮らしの残像たち。 村の全景を3枚に分けて収めたパノラマ写真の裏に、若き日の走り書きがあった。 「僕達を生んだ 故郷徳山村本郷 山の中でありながら りっぱな人間を作り出す徳山村」 照れ臭そうに写真を見つめて笑った。 「そんなに立派な人間になってねえから、ダメだなあ」。 川魚の養殖場を経営するのが今の夢だ。 田舎でのんびりしながら、ダム建設で魚が減った日本の川を豊かにしたいと思っている。 【竹内良和】 ……………………………………………………………………………………………………… ■ことば ◇徳山ダム 岐阜県西部の揖斐川上流部に建設された多目的ダムで、貯水量は国内最大の約6億6000万トン。 総事業費は約3350億円。 建設地の徳山村は87年に廃村となり、466世帯約1500人が村外へ移住した。 現時点で、ダムの水は利水や発電などには使われていない。 2月28日朝刊 【関連ニュース】